日用、暮らし支える販売店(LIFE TOWN やすとく)
令和3年1月20日。
今日は「大寒」です。
365日を15日ごとに区切った二十四節気のうちの一つです。
一年の中で最も寒い時期と言われています。
たしかに…毎日ブルブル震える寒さでして、
大寒だよ、と言われればなるほどそうか、とも納得するほどですね。
引き続き風邪をひかないようにしていきたいなと思います。
さて、今回は大島で生活雑貨を買うならココ!なお店の紹介。
TOPIC No.147
「LIFE TOWN やすとく」
大島には食料品が販売されているお店は数店舗ありますが、生活雑貨・日用品をメインに販売しているお店はココしかないと言っても過言ではありません。
注目すべきはその店舗面積とその品揃えの良さ。(島レベルの品揃えを基準にした場合ですが)
その他、文房具コーナー・寝具コーナー・ペット用品コーナー・調理器具コーナーなどもあります。
大抵の生活雑貨・日用品であれば、やすとくさんで購入でききます!
筆者はあまり生活雑貨にこだわりがないので、ココで全部買い揃えることができちゃいました。(笑
以下は個人的な意見ですが、お仕事で赴任される方は、内地から持ってくるものを最小限にとどめておいて、足りないものはこちらで買うのもよいと思います!
そうだ洗剤切らしてたんだった…買いに行ってこようっと。
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「LIFE TOWN やすとく」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
大島は、都であっても、都会ではないんですけどね!
裾分、釣り好きの優しさ(メダイの刺身を貰いました)
令和3年1月19日。
仕事でとある場所に向かい、業務をしていたところ、同僚に声をかけられました。
👨「🐟さん、これ良かったら食べてってよ」
そう、嬉しい美味しいお裾分けです!
番外編 No.10
「メダイの刺身を貰いました」
メダイの刺身ともうひとつ、何かの刺身をいただきました。
釣り好きな同僚の粋な計らいです。
島の飲食店でこれくらいの量の刺身を食べようとすれば平気で1,000円はいきます。
しかも醤油がただの醤油ではなく、島唐辛子を入れたもの。
ピリッと辛いのがこれまた美味しいんです。
釣り好きの同僚の優しさに触れた日でした。
今度何か御礼しなきゃな…
さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― 後浦なつみ『LOVE LIKE CRAZY』
「後」藤真希・松「浦」亜弥・安倍「なつみ」からとったユニット名だよ!
成田、素朴で純に満腹(成田屋食堂)
令和3年1月18日。
波浮港周辺は、飲食店が数えるほどしかなく、一周道路を東回りしようとするならば、ランチ営業をしているお店は数軒しかありません。
そのため、この辺りに住む島民や観光客からは重宝されています。
今回、そのうちの1軒である、「成田屋食堂」さんを紹介します。
TOPIC No.146
「成田屋食堂」
そんなわけで成田屋食堂さんに来ました。
駐車場が道路を挟んだ場所にあるので、アクセスはしやすいです。
4台くらい停められます。
早速、入店です。
店内はTHE小さな食堂ってかんじのテイスト。
自宅兼店舗なので、昼食時や夕食時に行くと、普通にお店の御家族がご飯食べていたりテレビを見ていたりします(笑
まぁそれくらいがのほほんとしていて癒されるので好きな雰囲気ですけどね。
セルフサービスでジャグってのがいいですよね~
しかも水じゃなくて麦茶!個人的ツボです。好きです。
今回は大好きなニラレバ定食を注文しました。
どかんとデカ盛りです。メインのニラレバやライスは結構な量があるので、大食いの方でも満足すること間違いなしです。
「成田屋」と書かれた器に盛られたニラレバ、「ここの看板を背負ってお前の前に出てきてんだ。美味しく食べてくれよな」と言わんばかりのボリュームと迫力。
ありがたく食べさせていただきます。
…
……
ん~~~~~!
美味しい!!!
ニラともやしのシャキシャキとレバーのまろやかな食感がよい塩梅!
味付けは、これぞ中華料理!な風味です。醤油や鶏ガラあたりがしっかり効いてます!ニラレバのタレってなんでこんな美味しいんだろうか…
成田屋食堂さん自家製の食べるラー油が各テーブルに置かれています。
是非白米にかけて食べてみてください。
ただ、定食を食べるだけのところにコイツをプラスアルファするだけで味変できてオススメです!
最後は中華スープで締めくくります。
これがまた良い具合に濃い味でパンチがありつつも後味サッパリで美味しいんです。
個人的には定食を頼んだときの楽しみの一つです。
(喉が渇いて、セルフサービスの麦茶とループしちゃうのもまた一興)
たくさん食べて満腹になりました!いやぁ大満足です。ごちそうさまでした!
帰りの運転、眠くならないように気をつけなきゃ…!
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「成田屋食堂」さんはコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
最近寒い…去年の大島はこんなに寒かったっけな…?もしかして老いが始まった?
龍音、海を背にして安航祈願(龍音様)
令和3年1月16-17日。
1月17日は「防災とボランティアの日」。
1995年の阪神淡路大震災が発生した年です。たしかこの震災を契機に、被災地ボランティア活動が盛んになった、発展したと言われていたかと思います。
当時小さかった筆者は、今でも親から、「あの時はね、あんたがぐっすり寝てる頃にテレビですんごい悲惨な映像が流れてたんだよ」と言われます。
(そりゃまだ赤ん坊だったからな!寝てて当たり前だよ!!)
記憶に新しい東日本大震災の時もそう。日常とはかけ離れた鮮烈な光景は恐怖心ゆえに強く記憶されますが、いつまでも忘れないように、日々防災やボランティアのことを意識していきたいものです。
さて、今回は龍王崎周辺の散策記事のラスト。
龍王崎灯台の先にまだ続く道を見つけ、さらに先へ行くことにしました。
TOPIC No.145
「龍音様」
藪の道なのですが、妙に踏み固められていて人の通りがあるようです。(名推理
獣道ではない太さ。
いやぁでも本当に何にもなさそうだぞ…
なんと突き当たりは分かれ道。
でもその先には海。間違いない!何かある。
鳥居か何かがあったのでしょうか?
素材は木なので、相当昔なのか、壊れたまま放置のようです。
ちょっと!!さすがにほったらかしすぎません!?なんかバチあたりそうだけど…
ただ、これでここが元は鳥居だったことは確信に変わりました。
このまま道なりに下っていくことにします。
さらに下へ。
不安と期待が高まります。
この辺りは地図で見ても道が出ていないので、未知の探検気分で面白いです。
残念ながらここで行き止まり!
何にもないのかとがっかりしながらも、せめてギリギリまで行って海を撮って帰るかぁともう少し進んだ瞬間、
なんと急に現れたのは立派な鳥居!
やっぱりさっきの壊れていたやつは鳥居だったんだ!!
(後日職場で詳しい人に聞いたところ、確かにあそこには鳥居が建っていたのですが、今では壊れてしまっているとのこと。ただ、基本地元の人しか来ないから直してないんそうです。)
鳥居の基礎に刻まれているのですが、これは波浮港船主会により寄贈されたものです。
というのも、ここでは毎年正月に地元の船舶所有者が集い、安航祈願を行うんだとか。
ちなみに今年はコロナの影響で中止になってしまったと聞きました。
他にも地元の方々がいらしている様子です。
私も少しばかりですが、賽銭として納めました。
海を背に、大島に所在する船の安航祈願を。
龍音様の訪問を最後に、歴史と自然が凝縮されたこの龍王崎エリアを後にしました。
ここまで30分ほどのわずかな時間でしたが、多くの知識、刺激を得た時間でした。
是非訪れてみてくださいね。
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「龍音様」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
燈光、島の南端で(龍王崎灯台)
令和3年1月15日。
しばらく連載を続けている龍王崎散策編ですが、もう少し続きます。
ここには灯台があるそうで。 訪れたからにはしっかり見ていかないと!と思い奥まで歩いてみました。
TOPIC No.144
龍王崎の展望広場からは、さらに奥に道が続いています。
そこを道なりに辿っていくと現れる白い建物。
青空を突くように、白くすらっとした佇まい。大島灯台とは違ってスマートな印象ですね。
平成9年(1997年)3月には改築されています。
光 度:?カンデラ(明記無し)
光達距離:20海里
高 さ:14m
等 級:?(明記無し)
灯 質:単閃白光 毎12秒に 1閃光
大島灯台よりも控えめな光り方ですね。大島の南端に建っているということは
やはり伊豆諸島付近を通過する船の灯標として役立てられているのだと思います。
灯台みたいに、普段は主張しないけどしっかりと役割を果たす(昼は光らないけど実は夜光って役立ってる)みたいな人になれたらいいなぁなんて考えていました。
どうやらまだまだ道があるみたい。
左側は元に戻る道なので 右側の藪の道へ行ってみます!
次の記事に続きます。
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― Juice=Juice『Borderline』
今日ここで小さく 舵を切れたら 大きい未来が動くはず!
監視、本土を守るための拠点跡(龍王崎大東亜戦争拠点跡地)
令和3年1月14日。
今日1月14日は飾納。正月飾りの門松などを納める日です。
いわゆる正月の節目。気づけば新年からもう2週間経っているのか!とその時間の早さに困惑するばかりです。(すぐに40年とか経過しておじいさんになっちゃうんだろうな
龍王崎は、前回の記事で学んだとおり、次のような場所でもあったと記載がありました。江戸時代の防衛拠点のみならず、その後の昭和時代の戦争でも役目を果たしていた拠点だとか。
今回はそれを勉強、紹介していきます。
TOPIC No.143
戦争の遺跡
この竜王崎周辺は大東亜戦争(第二次世界大戦)時、日本陸軍の監視所として、多くの兵士と小学校高等科を卒業して兵役年令(20才)に満たない15才~19才の青年たちが生活し監視の教育を受け、共にその任務に従事していた場所である。
本土襲来のB29爆撃機の一番機はこの監視所から島田少年によって発見されたと伝えられている。
兵舎は三棟あり、周囲に防空棒、弾薬庫、食糧庫、貯水槽が併設され、海に向かった斜面には攻撃用塹壕、蛸壺壕が無数に掘られていた。
昭和の戦争遺跡として永久保存しここに世界の恒久平和を祈るものである。
あの第二次世界大戦の際に陸軍の監視拠点として使われていたのですね。
実際にこの周辺を歩くと
少し下が草で隠れていますが、立派な入口があり、壕になっています。
他にも…
案内看板に記載のあるように、至るところに彫られているのが分かりました。
というかよくこんなそのままで残っているな…凄い。
ちょっと戦争の話で心が痛んだので、この地点から波浮港を眺めて気分転換。
悲しい歴史も、現代に生きる一人として目をそらさずに学んでいかないといけないなと思うと同時に、いつだって世界平和を願う気持ちは変わらないなと感じました。
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― モーニング娘。『Be Alive』
君を守る 星を守る 今日を生きる 明日に繋ぐ… いい歌詞(涙
防衛、海辺防備はさながら義勇兵(龍王崎鉄砲場)
令和3年1月13日。
晴れた日の散策。龍王崎付近を歩きます。
調べてみると、この辺りは海辺防備の歴史が分かる史跡でもあるのだそう。
ここに留まって、いろいろ勉強してみることにしました。
TOPIC No.142
実は前回の記事で紹介した龍王崎は「鉄砲場」とも呼ばれています。
その所以はこの説明看板に書いてありました。
この龍王岬には、江戸時代寛政年間に十一代将軍徳川家斉によって他国の黒船襲来に備えて設置された鉄砲場跡があります。また、昭和の大東亜戦争(第二次世界大戦)時には陸軍の陣営があり防空壕・塹壕・重機関銃の設置跡、兵舎跡等が残されております。江戸時代、昭和時代の戦争遺跡として当時を偲ぶことができます。
南から南西くらいの範囲で海を一望できるためか、江戸から昭和にかけて、軍事的な防衛拠点になっていた様子です。
五代将軍徳川綱吉の寛永以来、日本は外国との関係に特に問題はなかったが、十一代将軍徳川家斉の寛政の頃に、ロシアの船が時々北海道に出没しはじめ、しばらく平穏であった世の中がにわかに騒がしくなってきた。寛政4年11月にロシアのエカテリーナ号が根室湾に投錨したことが発端となり海辺防備の令が発令されたのに続き、同年12月4日老中松平定信に房総豆相沿岸の巡視を命じた。
その後文化3年9月、ロシア船が樺太(現サハリン)で住人を捕え去ったり、翌4年4月にはエトロフに上陸した為、同年12月に露国打払い令を発令し海辺防備を厳重にした。この時島民にも防備の為の特別任務が与えられ、文化5年9月幕吏橋爪頼助一行十人が巡視した際、射撃の指導も受けその姿はあたかも義勇兵であったと言う。その場が各島村に残されている「鉄砲場」である。
江戸時代に悩まされた外国船の日本近海航行の件が発端のようです。
海辺防備の拠点の一つとして、幕府から設置するように令が下ったのが「鉄砲場」の由来だったということなんですね。
外国船が港に入り、そして敵(外国船の船員・兵士)がこの場に登ってくることがないように、大砲に鉄砲、槍、そして投石用の石を大量に配置していたそうです。
(用意周到だな!迎撃する気満々じゃないか…)
また、ここは物資の流通経路だったらしく、そこを狙われないようにするという意味合いも兼ねていたと思われます。
残念ながらこの鉄砲場は地名として残るだけのものになってしまいましたが、
自国を守るための努力をしていた、そんな一面をうかがい知ることができました。
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「龍王崎鉄砲場」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
爽快、冬の晴天に南海を見る(龍王崎)
令和3年1月12日。
3連休が終わり、1月2週目のスタート。
仕事の相手方も業務が本格化してきて、いつもどおりの日常が戻ってきたように思います。ウォーミングアップ終了っていうのか、正月ボケ期間終了っていうかんじ。
前回の十日戎のめでたい焼きでお世話になった梵天のご主人とお話した際、
南部の観光スポットのひとつ、「龍王崎」までの行き方を聞きました。
基本道には迷わない筆者ですが、今回だけは全然わからずお手上げ状態だったので助かりました…
TOPIC No.141
「龍王崎」
まず龍王崎までの道順を。
と、ここまでだいたい5分くらい。ゆったり歩けば10分くらいでしょうか。
この辺りは車が通るには道が狭かったり、入り組んでいたりするので、レンタカーでここまで来るのはオススメしません。大島バスを利用して、「波浮港」バス停で降りるのがベターだと思います。
さぁ、先ほどの坂を登り切った先には…
どうですか!だいぶ開けた場所に出ました!ここが龍王崎。
気になる海の景色はというと
こんなかんじです。
晴れていたからか、綺麗な空と穏やかな海でした。(冬の海にしては珍しいんです)
この龍王崎は、水平線から昇る朝日と沈む夕日を眺めることができる珍しい岬だそう。その美しさは筆舌に尽くし難い、とまで書かれているので是非見てみたいものです!
めったに人も来ないので思いっきり深呼吸もできましたし、何度も何度も自分の撮りたい景色を撮ることができました。
定期的に来ようかなと思えた心地よい場所でした!
今度来るなら朝日か夕日の時間かな!
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「龍王崎」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― 太陽とシスコムーン『丸い太陽-winter ver.-』
祝鯛、十日戎に景気づけ(たい焼きカフェ&ゲストハウス東京梵天ーめでたい焼き)
令和3年1月9-11日。
つかの間の3連休。緊急事態宣言の再発令もあって、島内で過ごしました。
にしても、1月の1週目は光の速さで過ぎていった…
序盤から飛ばしすぎ注意ですね。ガス欠にならんように気を付けないといけないです。
TOPIC No.129-2
「たい焼きカフェ&ゲストハウス東京 梵天ーめでたい焼き」
3連休の中日、所用で南部エリアに来ることがあったので、
以前紹介した「東京梵天」さんに立ち寄りました。
たまたま外で落ち葉はきをお子さんとしていたご主人に遭遇。
👨「あぁ~どうも今日はいい天気やねぇ」
🐟「どうもー!そうっすね。久々にいい天気です。」
👨「あ、そうそう今日はね1月10日でしょ?十日戎やから、「めでたいやき」っちゅうのおいてるから。」
🐟「えぇ!そんなんあるんですか!じゃあせっかくなんで買っていきます」
👨「そう?おーきに~!」
どうやら今日は十日戎って日らしいです。
なんだそれ?と思い、たい焼きが出てくるのを待ちながら検索。
調べたら出てきました。
十日戎とは、漁業の神、商売繁盛の神、五穀豊穣の神として有名な「七福神」の戎(恵比寿)様を祀るお祭りです。
毎年1月9日から3日間行われ、9日を宵戎(よいえびす)、10日を本戎(ほんえびす)、11日を残り福といいます。
ウェザーニュース記事より引用
なるほど~!七福神の戎様に関わるお祭りね~。そりゃ「めでたい焼き」なんていう縁起の良いネーミングになるのも納得です。
にしても前から気になってたけど、御主人の話し方関西弁なんだよな…
記事によれば西日本の方で有名っていうから、やっぱり出身は西の方なのかも。
今度聞いてみようかな。
十日戎の話はさておき、めでたい焼きを。
どうやら白いたい焼きらしいです。たしかに「白蛇」とか見ると縁起が良いなんて言いますし、白なのかもしれないな…
袋を開けようと思ってひっくりかえしたら裏側は赤でした!
あーーーーーーー!なるほど!
紅白のカラーリングはたしかにめでたいことに何かと使われますよね~
いやぁ見事!してやられた!こりゃまさしく「めでたい焼き」だ!!!
そもそも紅白が縁起の良いことに使われるのはハレを意味しているからだそう。
戎様を思い浮かべ、梵天さんの、そして島全体の商売繁盛を願いながら頬張るのでした。
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「東京梵天」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟