この島の平和を本気で願ってるんだよ!-伊豆大島日記-

食べ物と生き物と自然とハロプロが好きな社会人による伊豆大島暮らしの日常

防衛、海辺防備はさながら義勇兵(龍王崎鉄砲場)

令和3年1月13日。

 

晴れた日の散策。龍王崎付近を歩きます。

調べてみると、この辺りは海辺防備の歴史が分かる史跡でもあるのだそう。 

 

ここに留まって、いろいろ勉強してみることにしました。

TOPIC No.142

龍王崎鉄砲場」

 

実は前回の記事で紹介した龍王崎は「鉄砲場」とも呼ばれています。

その所以はこの説明看板に書いてありました。

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史跡名勝 鉄砲場

この龍王岬には、江戸時代寛政年間に十一代将軍徳川家斉によって他国の黒船襲来に備えて設置された鉄砲場跡があります。また、昭和の大東亜戦争第二次世界大戦)時には陸軍の陣営があり防空壕塹壕重機関銃の設置跡、兵舎跡等が残されております。江戸時代、昭和時代の戦争遺跡として当時を偲ぶことができます。

南から南西くらいの範囲で海を一望できるためか、江戸から昭和にかけて、軍事的な防衛拠点になっていた様子です。

 

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史蹟「鉄砲場」こちらの石碑にはさらに詳しい記述が

五代将軍徳川綱吉寛永以来、日本は外国との関係に特に問題はなかったが、十一代将軍徳川家斉の寛政の頃に、ロシアの船が時々北海道に出没しはじめ、しばらく平穏であった世の中がにわかに騒がしくなってきた。寛政4年11月にロシアのエカテリーナ号が根室湾に投錨したことが発端となり海辺防備の令が発令されたのに続き、同年12月4日老中松平定信に房総豆相沿岸の巡視を命じた。

その後文化3年9月、ロシア船が樺太(現サハリン)で住人を捕え去ったり、翌4年4月にはエトロフに上陸した為、同年12月に露国打払い令を発令し海辺防備を厳重にした。この時島民にも防備の為の特別任務が与えられ、文化5年9月幕吏橋爪頼助一行十人が巡視した際、射撃の指導も受けその姿はあたかも義勇兵であったと言う。その場が各島村に残されている「鉄砲場」である。

 

江戸時代に悩まされた外国船の日本近海航行の件が発端のようです。

海辺防備の拠点の一つとして、幕府から設置するように令が下ったのが「鉄砲場」の由来だったということなんですね。

 

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どんな鉄砲を置いていたのか

外国船が港に入り、そして敵(外国船の船員・兵士)がこの場に登ってくることがないように、大砲に鉄砲、槍、そして投石用の石を大量に配置していたそうです。

(用意周到だな!迎撃する気満々じゃないか…)

また、ここは物資の流通経路だったらしく、そこを狙われないようにするという意味合いも兼ねていたと思われます。

 

残念ながらこの鉄砲場は地名として残るだけのものになってしまいましたが、

自国を守るための努力をしていた、そんな一面をうかがい知ることができました。

 

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龍王崎鉄砲場」はコチラ!

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さて、明日も頑張っていきます。🐟

 

 

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