昭和、レコードとカレーと夕暮れと(観光喫茶MOMOMOMO(カレーセット編))
令和2年11月19日。
前回紹介した「観光喫茶MOMOMOMO」さん。
レコードとカレーのリポートもしていきたいと思います。
TOPIC No.123-2
「観光喫茶MOMOMOMO(カレーセット編)」
火曜・水曜が定休なので、前回筆者が訪れた月曜には売れ残りが出ないようカレーは作っていませんでした。そのため、今回は土曜に訪問。
さらにご主人の店番の日。これはレコードとカレーセット、同時に味わえるかも?と期待です。
店内に入り、さっそくカレーセットを注文。
まだ2回目の訪問だというのに、どこか我が物顔をしている自分に気づきます。
それくらい気に入ってしまっています、この店。
レコードを聴かせていただけるという噂を伝えたところ、すぐさま1枚出して流してくれました。
なんと、マニタス・デ・プラタ。
すごい。世界に名高い一流ギタリストです。
そして外を眺めればこの景色!
彼の代表するフラメンコの曲調と、燃えるような夕日がマッチします。
ご主人曰く、海も山も窓から見渡せるこの立地が気に入ってここにオープンしたとか。
もともと、昨年まで元町に存在した店舗「くぼいち」のご主人と同一人物。
残念ながら、そのくぼいちは昨年の台風15号で被災し、あえなく取り壊しという背景が。ご主人の職業であったイラストをよく展示していたものだからそれも見られなくて寂しいです。
そうも寂しい気持ちになってばかりでは相手に失礼だと思い、
ここでお会いできてよかった、とポジティブに考えながら、
楽しくトークをさせていただきました。
で…ここで過去の記事と繋がるんですけどね?
紹介したことのあるマッチ箱…
凄い奇跡です。こうして島の至るところを回ってきたからこその巡り合わせってことですよね。なんだか嬉しくなりました。
お話も弾んでいたところで、カレーセットが運ばれてきました。
昭和な雰囲気をまとった素朴なカレーライスです。
👨「今日は、味噌汁が余っていたんで、よかったら…どうぞ」
なんてホスピタリティ&サービス精神…!ありがたく頂戴します!
カレーはジャガイモとお肉がメインで食べやすい!
良い意味でクセがなく、際立った辛さもないです。
それこそ、主役のコーヒーを味わうのだから、味覚がブレない程度の味であるのも納得です。
ん~~~今日も美味しい!この味が一番好きだな。☕
次回以降来てもこれ注文しよう。
外を改めて見れば、もうそろそろ夕日が沈み切る頃。
帰る前に少し…と思い、
夜に変わりゆく、微睡んだ時の流れに彼女の歌声が合うんですよね。
お酒も飲んでいないのに、良い感じに酔いしれることができました。
美味しいコーヒー、料理にレコード。
島にも昭和モダンな喫茶店がありました。是非訪れてみてはいかがでしょうか。
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ちなみに筆者は中森明菜さんの曲の中だと、
「北ウイング」「サザンウインド」あたりが好きです。
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「観光喫茶MOMOMOMO」さんはコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
珈琲、味も色も音も時も(観光喫茶MOMOMOMO(モーニングセット編))
令和2年11月18日。
周囲で体調を崩す人がちょっと増えてきた印象です。
季節の変わり目、季節外れの気候、そうしたものが影響している様子なので
引き続き体調管理だけは第一でやっていきたいです。
皆、元気になれ!!!!!
ある日、元町港付近の街並みを見ながら、フラフラと散歩をしていると、
その中に2階へ行ける建物を発見しました。
TOPIC No.123-1
「観光喫茶MOMOMOMO(モーニングセット編)」
元町港の目の前にはお土産屋が数多く並んでいます。
そんないつもどおりの街並みを見ながら、フラフラと散歩をしていると、
その中に2階へ行ける建物を発見。
「あれれー?こんなところあったかな?」と江戸川コナンみたいなとぼけ方をしながら、階段を上がってみることにしました。
突然広がる昭和モダンな内装。(撮り損ねました)
落ち着く喫茶店ここにあり、というかんじ。どストライクです!!
この日は朝早く訪れたので「モーニングセット」を注文。
待っている間にも、興味の惹かれるものばかり。
工芸品、レコード、お洒落なカップ、どれも筆者の世代では触れてこなかったものたちばかりですが、何故か懐かしい感覚になります。
ほどなくして、モーニングセットが到着。
とろけたバターの乗った厚めの食パン、新鮮なサラダ、ゆで卵に野菜ジュース(にんじんジュース)。そして主役のコーヒー。
そうか、世間一般の朝食ってこういうのなんだよな。
普段の食生活に喝を入れねばと思うほどの充実ぶり。隙がないです。
パンも耳がサクサク、
中はしっとりでバターでジューシーです。
サラダもシャキシャキですし、
ゆで卵も少し漬けてある味でほんのりした塩辛さが絶妙。
また、この店自慢のコーヒーは格別です。
少し酸味の効いたブレンドでしょうか?
個人的に、苦味よりも酸味のあるコーヒーの方が好きなので大満足です!☕
ゆったりした時間を過ごせば、いつのまにか、あれ?自分は貴族の生まれだったかなと思うほどの世界観に浸るほど。これはまた来たい!!
コーヒーの味も、
窓からの景色も、
街並みの音も、
ゆったりした時も、
まさにあれもこれも満足な「MOMOMOMO」。
日常の中にある非日常を味わえた貴重な時間でした。
なんとご主人が店番の日には、店内BGMにレコードをかけてくれるそうです。また訪れる理由ができました。
その様子は次回の記事で紹介します!
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「観光喫茶MOMOMOMO」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― モーニング娘。「モーニングコーヒー」
石樹、力と信仰(岡田八幡神社―力石と乳房銀杏)
令和2年11月17日。
秋にしては生ぬるい。まるで梅雨に逆戻りしたかの陽気で体が少し驚いています。
体調に響かないよう、気を付けていきたいです。
前回紹介した八幡神社ですが、本殿を訪れたあと、周囲を見渡すと、本殿以外にも何かあることに気づきました。
TOPIC No.122
「力石と乳房銀杏」
「力石」
力石
この二つの意思は、岡田村時代から集落に残っていたもので「力石」と呼ばれる。力石は江戸から明治のころに、「若者の力試し」として使われ、一人前の大人になるための力が備わっているかを試される、いわゆる通過儀礼的な意味合いを持ち全国的に行われていた。
大島伝吉のような力士ともなれば、持ち上げた証にその石に自身の名と縁起のいい言葉や重さを刻むことが出来た。
右の「智仁石」は2番地の川島勝氏宅の玄関に、左の「八十五貫目」と彫られている石は、傅吉の生家に置かれてあったものである。
平成29年3月に岡田八幡神社の氏子有志の手によってここに納められた。
以前、大島傅吉を紹介した際にも出てきたこの「力石」。
力試しのものとして使われていたとのこと。
今もこうした通過儀礼があったなら、きっと私は持ち上げられないでしょう…
現代には無くて良かったと思う反面、挑戦してみたい気持ちもあります(笑
「乳房銀杏」
境内にあるこの銀杏の木ですが、島では安産祈願をする樹木として祀られているそうです。いわゆる御神木の類ですね。
看板も読めなくなっており、銀杏と乳房・安産、何が関連しているのか?という疑問を解消しきれなかったのですが、調べてみたところ、以下のような関連性が見えてきました。
樹齢の長い銀杏には、乳柱(ちばしら)なるものが下に垂れてくるそうです。「これを煎じて飲むと母乳の出がよくなる」だとか、「そもそもが乳のように見えるので信仰対象とする」だとか、諸説あります。
いずれにしても、民俗学的というか、アミニズム信仰的というか、そうしたところを起点に現在に至るわけなんですね。勉強になりました。
ちなみに、例としては他の地域にもあるようです。
高さ40メートル、根元からは多数の新支幹が生え束状になっており、幹まわりは12メートルにも及びます。幹からは、数十本の乳柱が下がり、県内まれにみる雄イチョウの老大木です。幹から下がっている乳柱を削り、煎じて飲むと、母乳が良く出ると言い伝えられ、昔から母乳や安産の神木として崇拝されています。
(ホームページより抜粋)
人々は、この老木を「乳銀杏」と呼び習わしていました。
この大銀杏の枝や幹からは、乳房状の突起が垂れ下がっています。
この突起を信仰対象として、妊婦さんや授乳中のお母さんが、お乳の出が良くなることを祈願したのです。
(ホームページより抜粋)
通過儀礼的に使われる石だったり、信仰対象として祀られる木だったり、
大島には自然と人の繋がりが密接にあるものがまだまだありそうです。
次はどこを訪れようかな。
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「力石と乳房銀杏(岡田八幡神社敷地内)」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
八幡、源氏の治めた跡ありて(岡田八幡神社)
令和2年11月16日。
今日は「国際寛容デー」です。平成7年同日に、ユネスコ総会で宣言が出されました。
国や文化などの多様性に目を向けていこうというものですが、オリンピック・パラリンピックの開催を来年度に控えた我々も、より一層意識していかなければならないのでしょう。
島にも多くの外国人が来るのかな?
TOPIC No.121
「岡田八幡神社」
岡田港から歩いて5分ほどの場所に社を構えるのがこの八幡神社です。
こちらの御祭神は源為朝。これまで何度か紹介してきましたが、かつて大島を収めた大英雄です。
まずは岡田港から歩いてみます。一峰さんの間の道から、奥に入っていくと、
分岐する道で小さい看板で方向が案内されています。(本当小さい)
さらに、進むとご覧のとおり、さらに看板が(草木で見づらい)
と、案内看板にチクっと文句をいいながらもう到着です。
民家の軒の間に、突如として現れる石畳の参道はまるで異世界への通り道かのようです。
ちなみに鳥居の手間に見えるのは、おそらく神橋(神社の境内や神殿に架ける橋で人と神の領域を分けるもの)でしょう。
ここで説明を読んで勉強。
岡田には、鎮西八郎源為朝の伝承が多く、この神社も為朝が建立したと伝えられている。
御神体は保元の乱に敗れた為朝が大島に配流された際に奉じて来た「九重の巻物」であると言われ、氏子は「開かずのお箱」と称して開けると目がつぶれると言い伝えられている。
一月十五日実施される「岡田八幡神社の正月祭」で奉納される「天古舞」は、若衆が、ハッピ、股引姿で梃子を用いて、木遣りに合わせて舞うもので、昔為朝がテコを用いて溶岩を取り除いた縁起によるもので、全国的に例のない珍しいものです。
昭和三十三年東京都無形文化財に指定された。
平成四年三月
冒頭でも紹介したとおり、源氏に縁のある神社のようです。
歴史には明るくありませんが、調べた限り、源氏の家紋で間違いないかと。
ではさっそく一礼して鳥居をくぐります。
奥に進めばもうすぐそこに本殿はありました。
今まで訪れた神社に比べると比較的手入れがされている印象を受けます。
例えば、高欄が丁寧に朱色に塗られていたり、注連縄もまだ色鮮やかだったりと綺麗です。
お参りをすれば、源氏の力を授かる!なんて漫画やゲームみたいなことはありませんが、初めて訪れたので、心を込めて二礼二拍手一礼。
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余談ですが、案内に書いてあった神社の祭礼は1月6日に為朝の故事に由来する「弓引きの神事」から始まり、1月15日には「本祭り」にて「手古舞」と若衆の「手踊り」が奉納されるそうです。
祭の様子はこちらから!
↓↓↓↓↓↓
長年続く伝統的神事とコロナ対策、どちらが優先されるのでしょうか…可能であれば是非見てみたいものですが。今後も動向が気になるところです。
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「岡田八幡神社」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
漁飯、ギャングも煮込めば美味になる(浜のかあちゃんめし)
令和2年11月15日。
最近、仕事の関係で岡田に行くことが多く、昼休憩も無しに出向くことが多い筆者は、半ば空腹状態で、昼下がりに限界を迎えることもしばしば。
この日は少しスケジュールに余裕があったので、遅めのお昼をとるべく「漁協協同組合売店に併設された食堂「浜のかあちゃんめし」を訪れてみました。
TOPIC No.120
「浜のかあちゃんめし」
店舗を外から覗くと、空席が。
お昼のピークが過ぎ、しかも平日であるせいでしょう。これは絶好のチャンス。
なぜならば、港から徒歩0分圏内に位置しているため、いつもであればほぼ満席だからです。
※出帆港が元町港の場合は、火曜・水曜が休みです。注意!
店頭に置かれたメニュー表でまずは品定め。
大島の特産であるべっこうや、明日葉を使ったメニューが目立ちます。
その中にふと目に飛び込む「うつぼ」の3文字。
あれか、海のギャングって呼ばれているあのうつぼか!
たしかに釣り針に食いつけば釣り人を困らせるし、そこらへんの生き物なんでも食べるし、結構暴れん坊なイメージ。
そんなうつぼですが、食べたことはないかも。せっかくだから食べてみたいと思い、
うつぼ丼か、うつぼ天丼どっちかにしようと決め、店内へ。
「いらっしゃーい!」と明るい声の漁協のママさんたち。
注文する前に、ちょっと質問してみました。
魚「うつぼ丼とうつぼ天丼、迷ってるんですけどどんな違いですかね?」
ママ「うつぼ丼は煮込んであるからよく味が染みてるし、骨までやわらかく食べられるよ!うつぼ天丼はサクサク衣で食べられるけど、骨は残ってるんだよね~。だからうつぼ丼の方がいいと思うわよ」と貴重なアドバイスが。
メニューが来るまで店内を見回していると、うつぼの豆知識が。
「嫌われ者のウツボ君は栄養満点で精力UP 女性は若返っちゃう魔法の食材です!」
どうやらうつぼは、アルギニン、コラーゲン、カルシウムや鉄分など、様々な栄養が豊富で、昔から漁師の間では重宝されているそうです。良いとこあるじゃん!!ウツボ君。
そうこうしているうちに、うつぼ丼が運ばれてきました。
おおぉ!!見てください!
煮込みに煮込みつくされた雰囲気が伝わる丼の上!
さっそくひと口いただきます。
ああ~美味しい!味がしっかり中まで染みていて、その上、口に入れたらほろっと崩れていくパターンのやつですこれ。いやぁ美味しい。
また、うつぼ独特の風味である若干クセのある苦みもたまらないです。
骨もこんなかんじ。
ふにゃっと簡単に噛み砕けるほどの柔らかさ
にまで煮込まれていました。
これでカルシウムも摂取できるということか…すごい。
意外にも美味しいうつぼ丼、あっと言う間に完食です。
ごちそうさまでした~
「浜のかあちゃんめし」は岡田港のすぐ近くなので、船の出発前に寄ってみてはいかがでしょうか?おすすめです!
今度はうつぼ天丼頼んでみようかな。
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「浜のかあちゃんめし」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
滝橋、南東結ぶ緩傾斜(大滝橋)
令和2年11月14日。
秋晴れと呼ぶにふさわしく、綺麗な晴天が続く大島です。
カラっとしていて過ごしやすく、大島にいるならばこの時期が一番過ごしやすいのかもしれません。
今回は大島一周道路の道中、とある橋のお話。
TOPIC No.119
「大滝橋」
大島一周道路を、東回りでドライブしたときに必ず通る橋がこの大滝橋です。
大滝橋は大島の南東を結ぶ貴重な橋であるだけでなく、岡田港から波浮港へ向かう際にには、綺麗な景色を見る事ができる絶景ポイントでもあると個人的に思っています。
実は、この大滝橋の架かっている地点は、2008年の2月に大規模な落石により、この区間が通行止めになってしまったという過去があります。
落石を避けるため、急傾斜地にあった道から、谷側に橋を架けることとし、大滝橋が建設されたのだとか。ちなみに2012年3月17日に開通したそうです。
これならば、再び斜面から落石があったとしても、道路への影響は無さそうですね。
しかも緩やかな傾斜ですので運転も安心です。
なお、大滝橋の建設に係る総事業費は約10億円にも上ったらしく、すごい金額…!
今はこうして何事も無く橋を通行していますが、
大島において一周道路がしっかりと開通していることは本当にありがたいことなんです。これも日頃のインフラ管理に尽力されている方たちのおかげなんだよな、と感謝をしつつ、想いを馳せてみるのでした。
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「大滝橋」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― Berryz工房「かっちょええ!」www.youtube.com
海亀、生まれたてでも力強く(ウミガメの巣穴しらべ観察会)
令和2年11月13日。
秋も深まり、徐々に夜の虫の声が聞こえなくなってきました。
本格的な冬支度をする時期だなと感じます。
前回の記事の続きから。
砂の浜に訪れた筆者を感動させたとある出来事とは…
TOPIC No.118
「ウミガメの巣穴しらべ観察会」
浜辺を眺めて人だかりを発見した筆者。
浜辺に降りる前に、視線を落とすとそこにはこんな看板が。
(※昨年の9月に行われた観察会を記事にしています)
「ウミガメの巣穴しらべ観察会」ですって!!!
なんて気になるワード!
手元のスマホの時計を見ると時刻はもう少しで18時。
なるほどそうか、皆はこれで集まっているんだなと合点がいきました。
浜に降りて、後ろからそっと集団に合流。
大島において、長年に渡りウミガメの調査及び保護活動を行っている団体の方が、今日集まったギャラリーに対し、丁寧な講義を行っていました。
・ウミガメの生態
・ウミガメが砂の浜に産卵する理由
・ウミガメと環境問題
アオウミガメとアカウミガメの違いやその生態のお話に始まり、
砂の浜は人工の光が届きにくいから産卵しに来やすい、とか
増加する海洋ゴミ・海岸ゴミにより傷を負う、運が悪ければ死んでしまうウミガメもいるんだ、とか様々な知識を授けてくださいました。
私自身、大学時代にはサークル活動でゴミ拾いをしていたのですが、
河川敷でのゴミ拾いにおいて、同様の注射器は、いくつも見つけたものです。
それがやがて、海へと流れ着き、こうして漂流した結果、海洋環境や生物に悪影響を及ぼしているということなんですよね。
根っこから改善すれば…と思いながらも、違反者への対抗は難しく、我々は必死に訴え続けたり、減ることのない違法廃棄ゴミを拾い続けることしかできないのがもどかしいです。
とはいえ、こうした知識を子どもの頃に学ぶ島キッズたちは、きっと命や環境を思いやることのできる素敵な大人になり、将来活躍してくれることでしょう。
さぁ講義も終わり、いよいよ巣穴しらべ。
当時はちょうど毎日のように孵化していた時期だったので、
👨「今日も見られると思いますよ!ちょっと待っててくださいね~」と
自信に満ちた宣言をするオジさま。
ほら見てみ、こんだけ孵化してるんだぜ???
と言わんばかりの卵のカケラ!これは期待度が高まります。
ギャラリーもワクワクです。純な心を持つ島キッズたちは、今か今かと、目をキラキラさせながら、ウミガメの赤ちゃんとの対面を待ち望みます。
いつの間にか、子どもたちと同じくらいに保護者も、私たちも純粋な気持ちに帰っていたようです。
そうこうしているうちに、トレイに何か入れました。
もしや…
ん~まだ遠い。近くに来るのを待ってみます。
…
……
………
…………
お…
おぉ…!??
ホンモノの!
ウミガメの!
赤ちゃんだ!
生まれたてのベイビー!!!
本当に可愛い!!!
ギャラリーは皆大興奮、黄色い感性が浜一帯に響きます。
たぶんジャニーズのコンサートくらい響いてるな。すごい。
いやぁ、この人生で初の経験をするとこんなにも感動するんだなと、
なんだか忘れかけていた気持ちを思い出しました。
そして最後は浜辺を懸命に這って進むウミガメの赤ちゃんを応援しながらお見送り。
まっすぐ海に向かい続ける限り、何度押し戻されても、静かに見送るのがルール。これが自然の本来の在り方だからです。
生まれたばかりの体で大海原に旅立つウミガメの赤ちゃんたち。
その生存確率は1/5,000とも言われるそうです。
非情ともとれますが、これこそが命の輝き、営みなんでしょうね。
しかしながら瞳を潤ませずにはいられません。
いつかまたどこかの海で会えるといいなと思いながら、日暮れの海に消えゆくウミガメたちを見送るのでした。
こうして自然と触れ合い、常に学びのある環境が身近にあるというのは、子育てにもってこいなのかもしれません。「都会の日常では学べないものが大島にはある」と確信しすると同時に、私自身もこの自然や生き物を皆で守っていきたいなと感じました。🐢
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「砂の浜」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― Juice=Juice「生まれたてのBaby Love」
砂浜、ブラックサンドビーチ(砂の浜)
令和2年11月12日。
冬へ向かっていくもの悲しさというか、静かになっていく四季のめぐりが一番情緒的で美しい季節だなと、感じている今日この頃。
今回はとある浜辺のお話。
TOPIC No.117
「砂の浜」
砂の浜は、大島の南西に位置する浜です。砂浜は横に広く、その距離約1km。
行楽にはピッタリ!と思いきや、ここは年中風が強く、波もそこそこ荒れているので、遊泳には向いていません。
砂の浜の特徴は砂が「黒い砂」であること。
これは、三原山噴火などに起因する溶岩が風雨により砕かれて礫、そして砂となって、砂浜が形成されているためです。
噴火の名残の溶岩などで形成されていることは理解しました。
でも冷静に考えると、しばらくは噴火が起きていないから、もうここにある砂たちは海に侵食され尽くされてもいい頃なんじゃ…?という疑問が浮上します。
なぜこの浜が保たれているのか、そこにはちゃんとメカニズムがあります。
それは以下のとおり。
・雨風によって、山に残っているものが運搬される
・降り積もった火山灰や、火山砂が沢を伝って流れ下って堆積する
つまり、雨風や沢による力でなんとか保たれているのですね。
自然の力はとんでもない。すごいです。
これを実際に学ぶに当たって、
土木学会の「伊豆大島間伏海岸の海浜変形機構」も参考に読んでみてくださいね。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejoe/68/2/68_I_678/_pdf
と砂の浜の予備知識はここまで。
実際の浜辺はこんなかんじです。
BLACK SAND BEACH ―夕方の風が沁みる―
(英語で書くとだいぶスタイリッシュになる)
と、夕方に浜辺で黄昏ていると、人だかりを発見。
こんな夕方にどうしたんでしょうか。
怪訝に思いながら、あの集団に紛れ込んでみると…
感動する出来事に遭遇することに!!
その答えは、次回の記事で!
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「砂の浜」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― HI-FIN「海岸清掃男子」
※海岸は綺麗にしましょうね!
静林、苔生す参道と木立の中で(波治加麻神社~探索編~)
令和2年11月11日。
冷え込んだかと思えば、日中は暑いなと感じる日もまだまだ続いていて、
なんとも体温調節が難しい時期です。
どうか風邪だけはひかないようにしたいです。
前回の記事に続いて、波治加麻神社のお話。
TOPIC No.116-2
「波治加麻神社~探索編~」
鳥居をくぐって神社を参拝します。
どんな光景なのでしょうか。
さて、参道はどこかな…
えっ…
待ってください??
これもしかして…もしかすると
これが参道ですか…????
石畳で舗装されているものを想像していたもんだから頭の中はさながら
Xファイルのテーマソングが流れている状態。
全国には、こういう自然派(?)な神社の方が多いのだろう、と自身を納得させつつ進みます。
いや、でも、自然そのままを生かしているのは素敵ですよね。
変に人工的でないからこその温かみや神々しさが、伝わってきます。
そして、両側にまっすぐとのびるのは杉の木。等間隔でとても綺麗です。
当日は曇りでしたが、晴れの日だときっと木漏れ日が心地良く、また神秘的なのだろうなと、想像を掻き立てられます。
(筆者は、曇りならではの薄暗さが醸し出す重厚な雰囲気も好きですよ!)
そう考えると、四季、天候で、見え方が変わる神社って、信仰の対象として見つつ、ひとつの景観としても成立しているんですよね。
道がでこぼこに、ゴツゴツになってきました。それでも参道は参道。
苔が生すほどの歴史を感じながら、まだまだ奥へと進んでみます。
草木の生えていないところを参道と認識して進んでいたのですが、
社殿を見つける前に、地面は草だらけに。やばい道に迷うピンチか!?
…と思ったその先に
ありました☺
思わず安堵の息がもれます。
いよいよ社殿へとお参り。
その前に手水を、と思ったのですが、ご覧のとおり。
柄杓が折れてるんです。あっ無理だ。と判断したので
罰当たり覚悟で、そのままお参りします。(汚い口と手のままごめんなさい)
次男らしいとも言うべきか、長男の祀られる大宮神社よりも社殿は小さく、控えめな印象。それでも、屋根の作り、基礎部分、そして中心にある本坪鈴が、神社たらしめていいます。
お参りをし、離れる前にもう一度振り返って写真を一枚。
ここまでくると木の生え方もやや無造作ですが、それがかえって歴史の深さを感じさせてくれるので、これはこれで雰囲気があって良いなと思いました。
次は晴れているときに来てみようかな。
いや雨の日もいいかも。
なんて考えながら神社を後にしました。
残すところ、母親の祀られる「波布比咩命神社」のみ。
大島生成伝説の勉強はまだまだ続きます。
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「波治加麻神社」はコチラ!☆
※Googleマップ上の漢字表記は「波知加麻神社」ですが同じ場所です。
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
次男、北の森に鎮座す(波治加麻神社~紹介編~)
令和2年11月10日。
私生活でいろいろ落ち込むことなどあり、ブログがまたまた止まってしまいました。
春や夏の頃のエネルギッシュな自分はどこいった!!ってかんじです。
なかなかTOPIC探しに行く時間も取れなかったのですが、また徐々に再開したいと思います。
時間は進ませずに続きの10月13日の記事からといきたいところですが追いつかないもんですから11月10日からで。
歴史のお話。大島生成伝説の一部に触れます。
TOPIC No.116-1
「波治加麻神社~紹介編~」
6月頃に、この大島生成伝説のひとつである、「大宮神社」について紹介しました。
改めてざっとおさらいすると、こんなかんじ。
三嶋大明神が伊豆諸島を作り、島々を生成する際、大島に置いた御后様が、羽分の大后(波浮比咩命)。
この2人の間の子が、第一王子の阿治古命と第二王子の波治命。
祀られているのが、以下の3つの神社であると。
波浮比咩命=波浮比咩命神社(波浮港地区)
阿治古命=大宮神社(野増地区)
波治命=波治加麻神社(泉津地区)★今回はここを紹介してます!★
つまり今回はタイトルのとおり、次男が祀られる神社のお話というわけです。
さっそく案内版の内容を書き起こしてお勉強。
波治加麻神社
ここの地名を波治ヶ間と称している。
祭神は波知命、三宅記に言う。「王子二人まします一人を次郎の王子」とあるのはこの波知命であり、元禄元年(一六八八)の棟札に八何間大明神、元禄十三年(一七〇〇)の棟札に波治竈明神と記されている。社殿は昭和に入って建築されたものである。
「三宅記」とは室町時代に書かれたもので著者は不明。大島に関するところでは、大明神が諸龍王に銘じて島々を焼出させ、「一番の島を初めの島(初島)二番の島を神集の島(神津島)三番目の島をば、島大なる故に大島と名付けた。」とある。
また、五人の后の一人を大島に置いた。后の御名は、はぶの大后と申し。その腹に王子二人おわし、一人は太郎の王子大い所と申し、一人は次郎の王子少ない所と申したと言う。ここに出てくる、はぶの大后が波布比咩命神社)、太郎王子(阿治古命)が大宮神社、次郎王子(波治命)が波治加麻神社のそれぞれ祭神として祀られているものである。
平成四年三月
だいたいおさらいのとおりの情報です。
ただ、今に至るまで漢字の表記がころころ変わっている様子。
波治ヶ間・八何間・波治竈・波知加麻・波治加麻…
どれも「はじかま」(または「はちかま」)と読めます。
漢字に込められた意味にも変遷はあるのでしょう。憶測にすぎませんが。
『延喜式』(905年編纂開始)の神名帳に、波浮の波布比咩命神社、野増の阿治古神社(後の大宮神社)と共に波知神社(現在の波治加麻神社)として載っている。
※神名帳は、祭祀を行う対象の神社を一覧表にしたものであり、ここに記載されているということは延喜式の完成時に神社が存在していたことになる。
これ、すっごく面白いことなんです。
伊豆諸島生成の歴史を綴った『三宅記』は成立が室町時代とされていて、
平安時代に編纂が始まった『延喜式』にはすでに、『三宅記』と一致する神様の名前が神社に命名されているのだとか。
ということは、伊豆諸島の生成伝説やその神様への信仰は、少なくとも平安時代には確立されていると言えるのではないでしょうか。
(解釈が違っていたらすみません)
昔話は口頭で伝承されることが多々ありますが、その類なんでしょうか。
それとも公に編纂されていなかっただけで、島の人々の間ではポピュラーな神話だったのでしょうか。
そう想像するだけで興味深いです。
と、目の前に鳥居。
一礼して、奥へと進んでみることにします。
どんな神社なんでしょうか。
次回の記事で。
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「波治加麻神社」はコチラ!☆t
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さて、明日も頑張っていきます。🐟