伝説、王子に惹かれて(大宮神社~紹介編~)
令和2年6月3日。
週の半ば、水曜日を迎えました。
6月に入って2日間、自分の思うように進まない状況にノックアウトしかけながらも
カーラジオから流れるラジオDJの声に癒されて出勤をしました。
鈴村健一さん、いつもありがとうございます。
さて、今日は歴史。大島生成伝説の一部に触れていきます!
TOPIC No.44-1
「大宮神社~紹介編~」
阿治古と呼ぶ古い地域が、ここ大宮の地から南の山中にあり、集落を形成していた。集落の人々は三原山のたびたびの噴火降灰により室町時代(一四六六年)に祭神阿治古命(波浮比咩命の子)を奉じて大宮のこの地に遷座した。それまでは、阿治古神社と称していた。
現在の祭神は阿治古命と天照皇大神の二柱で、大宮に遷ってから天照皇大神を増祀したと伝えられている。
参道から神社の周囲には、百十数本のシイの木が群生し、昭和十四年十二月東京都指定天然記念物に、昭和三十三年十月御神体の菊花散双鳥文の銅鏡(鎌倉時代の作)は、東京都有形文化財に指定されている。
平成四年三月
これだけでは、深みがないので、この阿治古命と波浮比咩命が関わっている伝説についてちょっと補足。
この伝説が記されているのが『三宅記』なる書物。
伊豆大島がどのように生成されたのか、その伝説を伝える内容です。
室町時代1430年から70年頃に成立したと推定されているので、まさに上述した説明看板にあった遷座のタイミングでちょうど書かれていたのかもしれませんね!
さて、内容ですが、まず天竺に三嶋神(三嶋大明神)が誕生するところから始まります。
「待って、天竺ってインドじゃない?日本からすげぇ離れてるじゃん!嘘つき!」
とお思いでしょう。まぁまぁ落ち着いて。
この三嶋神、継母の懸想による父の怒りを買って流浪(要は追放された)してしまうのですが、志那や高麗を経て、最終的に三嶋神は日本に行き着きます。
(ほら、日本に来たでしょ。)
その後、富士山頂でまみえた神とやりとりします。
三「この日本で安住の地を探してます。どこか私にくださいな」
神「んーそうだな。お前には富士山南部の辺りをあげるよ」
三「どうも~」(いや、ここだけじゃ狭いな…)
その後、多くの神々を引き連れて、
三「はい、というわけでね、今回は島を作っていきまーす」
とYouTuberばりのテンション(嘘です)で、島焼き(噴火による造島)を
していきました。
話によると7日7夜で10の島を作り出したとか。
さすが伝説。神々の物語はロマンがあります。
そこで10ある島々に后(嫁さんたち)を置いていくのですが、大島に置かれたのが
羽分の大后。この方が、イコール波浮比咩命。
そうして、三嶋神との間に生まれたのが、第一王子の阿治古命と第二王子の波治命。
現在祀られているのが、以下のとおり3つの神社なんです。
波浮比咩命=波浮比咩命神社(波浮港地区)
阿治古命=大宮神社(野増地区)★今回はここを紹介してます!★
波治命=波治加麻神社(泉津地区)
そんな大宮神社にこれから踏み入ってみます。
この鳥居をくぐってからのレポートは次の記事で。
この先、何が待ち受けているでしょうか…
では、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― Berryz工房「アジアンセレブレイション」