神火、大島を生んだ活火山(三原山ー概要編ー)
令和2年12月11日。
12月11日は国際山岳デーです。
国際社会が山岳地域の環境保全と持続可能な開発について考える日らしいです。
山岳って定義なんですけど、
・高度が少なくとも2,500m以上
・仰角が2度を越え、高度が少なくとも1,500m以上
・仰角が5度を越え、高度が少なくとも1,000m以上
・周囲半径7㎞以内で300m以上高度が上がっている場合、高度が少なくとも300m以上
このどれかの基準を満たしている必要があるそうです。
さて、今回は大島の中心、三原山をクローズアップ。
まず手始めに予備知識を書き連ねたいと思います。
TOPIC No.131-1
「三原山ー概要編ー」
大島の中核をなす三原山。大島のシンボルでもあります。
その山は「御神火様」として、古くより島民から信仰の対象とされてきました。
最も高い地点の三原新山は標高758m、カルデラの辺りは600-700mです。
(都内では登山しやすいと人気の高尾山は599mなので、それより高いですね。)
1.名称の由来
「三原」は、出産のように溶岩や土石流を噴出することから、子宮や体内を表す「御腹(みはら)」から来ているとされているそうです。
2.火山活動の歴史
伊豆大島では約2万年前から現在まで、100年ないし200年毎に合計100回前後の大噴火が起きたと考えられている。
噴火の記録が残っているのは1338年ごろの様子を記述したものと推察されています。
近世の代表的な大噴火を挙げると、
①1684年-1690年の噴火
②1777年の噴火
いずれも溶岩がカルデラ壁を越えて流出するほどの規模だったようです。
③1950-1951年の噴火
この噴火がきっかけで、現在の最高峰である三原新山ができました。
噴火そのものは中規模であったものの、1957年(昭和32年)に火山弾によって1人が死亡、53人が怪我をした。この時、大島町役場の避難指示の対応が遅かったとして糾弾を受け、この時の記憶が1986年の噴火の際に活かされることとなったそうです。
④1986年の噴火
現在に最も近い噴火の記録がこちらです。
11月15日、山頂の竪坑状火孔で始まり、
11月19日昼頃、直径800mの内輪山の内側が溶岩で埋め尽くされました。
11月21日になると、カルデラ北部で地震が頻発し、カルデラ床からの割れ目噴火が発生。この噴火は一連の噴火で最大級のもので、噴煙は高度8,000mに達するほどだそうです。
同日中に、外輪山外の北西山腹からも割れ目噴火が始まり、溶岩が斜面を流れ下り3,000人が住む元町集落に迫り、この溶岩は最終的に元町の人家から数百mまで来たそうです。割れ目噴火は北西側に伸びたため、当初は島南部への避難が行われたが、地震活動が南東部へ移動したことや波浮港周辺での開口割れ目が確認されたことから、噴火のさらなる拡大が懸念し、夜には、全島避難が決定されました。
その当時の映像や避難者の救出作戦の映像が残っています。
上に挙げた①~④の噴火はあくまで代表的な記録に過ぎません。
を見ていると、だいたい周期は20-35年のようです。
また、噴火の直前には火山性地震が頻発していることも分かります。
…と、1986年の噴火から2020年の今まで34年が経過しようとしています。
町の発表によれば現在の三原山の火山活動は落ち着いており、「レベル1:活火山であることに留意」ですが、過去の周期の範疇を越えようとしているため、いつ活動が活発になってもおかしくないなと、内心不安ではあります。
実際のところどうなんでしょうね。
もし私の在任中に噴火が起こったら、皆を助けられるように責務を果たせたらいいなと思います。ただそれだけです。
いろんな文献からの引用ばかりになってしまいましたが、予備知識はこの程度で。
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― モーニング娘。『NATURE IS GOOD!』