上社、御神火崇拝の総本山(三原神社上社(三原山))
令和2年12月16-23日。
壮大なカルデラの風景に感動し、心満たされたまま下山をしようと、お鉢巡りのスタート地点に戻ってきたところ、あるものを見つけました。
TOPIC No.135
「三原神社上社(三原山)」
にしてもいい景色!!!どんなに写真が下手でも良い感じにとれるポイント!笑
ん…?「三原神社」?
そういえば三原神社は泉津地区にもありました。
そこの説明では、三原山にある三原神社こそ、総鎮守、総本山との記述があったのを思い出しました。(参考以下記事)
大島の御神火崇拝の拠点を噴火口間近に置き、島をあげて崇め奉る。
ただ、普段は近づけないから登山口や山の麓に分社を置く。
その仕組みはまるで富士山の浅間大社のようです。
と、説明の看板があるので早速読んでみます。
三原神社
古代から三原山の鎮火は神のなせる業として受け止め、噴火口全域を御神火として信仰し崇めてきた。三原山の近くに阿治古と呼ばれる古い地域に集落があり、阿治古神社が鎮座していた。たびたびの噴火降灰により、1466年(室町時代、文正2年)祭神阿治古命を大宮の地に遷座したため、御神火が遠くなり阿治古命を三原大明神として祀る様になったと思われる。
伊豆大島差出いし帳の記述によれば1789年(天明9年)にはすでに三原神社が鎮座しており毎月6月1日に三原神社の祭礼が行われ島民は神主と共に祭礼の一週間前よりお籠りをして身を清め参拝してとある。
これまでに溶岩が火口より砂漠へ流れ出したのは1910年~1923年(明治大正)と1950年~1953年及び1986ね(全島民避難)の噴火である。三原神社はこの昭和の大噴火による溶岩流も「なぜか」神殿を避け直前で両側へとながれをかえている。これこそ古代からの信仰である御神火のなせる業ではないだろうか。不思議の一言につきる。
三原神社 氏子総代
やっぱりそうなんですね。ここが総本山の様子。
1つ目の鳥居をくぐって参道(坂になってます)を進むと、すぐに…
おお、社殿というか祠がありました。
思っていたより簡素で素朴な印象です。
社殿は無いのかな?と疑問に思い調べてみたところ、
元来、社殿はなく、三原山自体が三原大明神として尊称されておりましたが、いつの頃からか山頂に小祠が設けられ、大正の中頃には内輪山の中腹に社殿が建立されました。しかしながら、昭和25年から26年にかけての噴火で中腹の社殿は溶岩流の中に埋まってしまいました。山頂の小祠は無事でのちに建て直されました。
だそうです。社殿は過去の噴火で埋まってしまったのですね、残念です。
ただ、祠があるのならお参りをしておきたいところ。
しばらく大島において噴火が起こっていないこと、そして今もなお大島全体が安泰であることに感謝をしました。
この先もずっと落ち着いているといいなぁと思いながらも三原山を後にするのでした。
おまけ
お鉢巡りの最中に出会える風景「ゴジラ岩」です。
見つけてみてください!
(ヒントは奥に山頂口の駐車場や展望台が見えるポイントです。)
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― Berryz工房『ロマンスを語って』