龍王、災厄を鎮める社にて(龍王神社)
令和2年7月27日。
連休中、大いに賑わいを見せたこの島も
むわっとした湿気を残して、いつもどおりの雰囲気に戻りました。
気づけば7月も最終週。
子どもたちにとっては、夏休みの宿題に明け暮れる日々の始まり?それとも遊び倒す日々でしょうか? どちらにしてもノビノビと楽しく過ごしてほしいですね~
さて、今回は岡田港の近くにある神社を訪ねます!
TOPIC No.76
「龍王神社」
岡田港から徒歩2分ほど、港からも見える位置に鎮座する「龍王神社」。
御祭神は不明だそうです。
では、何故この神社が建てられたのか。
実は、特定の神を祀るのではなく、平家の神々を怒らせないため(災害を呼び込まないため)というのが一番の目的とされています。
(大島に縁のある源氏の人物です。別の記事でも紹介していますので併せてご覧ください。)
この、”源氏を神として祀る”という点に対して、”平家の神が怒り”津波等の水害をはじめとした災害が無いように、建立されたそうです。
神々の信仰においてまでも、源平のせめぎ合いというのは続いているわけなんですね…恐ろしいと感じるとともに、いかに大きな勢力であったかを思い知らされます。
さて、実際にお参りしてみましょう。
岡田漁港に沿って切り立った土地が展開されていますが、その一角には神社へと伸びる階段があります。
龍王神社
この龍王神社については、次のようなことも言われている。
「それは八幡神社の祭神が源氏であることから平家の神々が怒って災害を起すので、ここに龍王神社が祀られた。(一説には、安徳天皇が祀られているとも言われる。)そのため龍王神社の祭礼には、八幡神社と同じように『テコ舞』や『手踊り』が奉納されるのである。
岡田の大きな災害は、大正十二年(一九二三)関東大震災の折、津波のため繋舟が民家の二階に押し上げられたり、がけ崩れのため死者を出したが、それより以前元禄十六年(一七〇三)十一月二十二日夜、大津波で回船、漁船共十八艘、男女五十四人、外に流人2人、家数五十八軒、浪に取られたということが古い記録にみられる。
岡田港の海食崖では崖崩れが起きたりしているが、龍王神社は、創建以来災害を受けたことがないと言われている。
御祭神は安徳天皇…?
先ほど、基礎情報として祭神は不明と述べましたが、一説によれば、安徳天皇が祀られているかもしれないのですね。
安徳天皇の祖父は平清盛。つまり平家の人物です。壇ノ浦の戦いで追い込まれ、わずか6歳の幼さで祖母と入水し命を落とした安徳天皇ですが、こうして祀られることで平家の神としての役割を果たしているのかも?しれませんね。
(大人たちの都合に巻き込まれて翻弄される人生…悲しい)
まぁ、この一説が真実ならば、の話ですけども。
また、災害から守るために建てられたとありますが、この神社自体も被災していないとの記載があり、建立された役割を見事に果たしていると思わずにはいられません。
岡田の住民の皆さんが信心深いからなのかな…!
上へ上へと歩みを進めると鳥居が見えました。
鳥居をくぐる前に周囲をぐるりと見渡します。
大島沖を臨む景色は、曇りにしてはなかなかのもの。
もう少し天気が良かったら、より鮮明な思い出になったかもしれません。
神社を訪れた人々を待ち受けるが如く、急勾配の階段の先にある社殿。
残念ながら気持ちを入れる賽銭箱はありませんでしたが、
精一杯、岡田地区の安全を祈願させてもらいました。
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そうそう、他にもう一つ。
この神社では、お正月の22日に祭典があり、テコ舞や手踊りが奉納されるそうです。理由としては、大漁を祈願するため。海に面した神社なだけありますね。
次は関連のある八幡神社もお参りしなくては!と使命感にかられる筆者でした。
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「龍王神社」はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― Lovelys「戦う大人」