竜口、溶岩流下に遺跡あり(竜の口遺跡)
令和3年2月15日。
2月も中旬に突入。猛烈な寒波と風が来ているようです。
今週はこの先天気が良くない見込み。ジェットどころか大型船も欠航しそうな予感がしています。
冬の海が荒れるのは周知の事実ですが、こんなに長く続くのは珍しいです。
さぁ今回も続いて史跡散策。
海沿いのとある遺跡を見に行きました。
TOPIC No.153
「竜の口遺跡」
位置は、王の浜とほぼ同じ。
王の浜にまず降りる必要があるので必然的に同じルートを通ることになります。
(わーブログ初めて5日目の記事だ懐かしい)
降りていくとこんなかんじ。
浜を正面にした状態から、左を向くと、ご覧のような断崖絶壁が現れます。
奥にある柵を無理やり乗り越えていくと
岩場に出られます。
※実は、現在は崩落の危険があるため基本入ることは禁止されています!
(自己責任で岩場を乗り越えて行きました)
岩の壁を前にして思うこと。
この岩の壁の何が遺跡なんだ????
ただ見ただけではわからないレベルです。
なぜなら…
大島竜の口遺跡
本遺跡は明治三四年、東京大学人類学教室の坪井正五郎・鳥居龍蔵両氏によって、きわめて珍しい性格をもつ「溶岩流下の石器時代遺跡」として、はじめて学会に紹介されました。これを契機に島嶼地域の石器時代の研究が開始されたので、島嶼遺跡調査における記念碑的な遺跡と言えます。
本遺跡は、厚さ約5mの玄武岩溶岩流に覆われています。断面観察によって、溶岩流の下約1~2mの位置に縄文時代中期の包含層が約50㎝に渡って存在することが確認され、縄文時代中期の遺物として、土器・石器・骨角器が認められます。さらにそこから約2mほど下の位置からは縄文時代早期条痕文土器※も採集されています。
※条痕文土器とは
縄文土器の1形式。土器の外面や内面全体に平行な細い筋が無数に認められるもので、木の板や二枚貝の縁辺部などを用いて器面を整える際に残される調整痕である。
規則正しい方向に調整することで、同時に装飾効果を得ている。縄文時代前期、後期を中心に、様々な時期に認められる。
そう、溶岩流の下に埋まっているから。
分かりやすく目印があるわけでもないので、ただ断崖の前で立ち尽くすことになります。笑
ただ、近づいて見ると、地層が幾重にもなっているのが目視できます。
遺跡というより、シンプルに噴火の後や地層研究として見るのにも格好の資料だと思います。
…にしてもこれが明治時代に発見されて、それでいてここが島嶼地域において初の石器時代の遺跡だったということ、その事実に驚きです。凄いことですよね。
流刑に処された者が、島に来るなんてのは割と最近の話と言っても過言ではなくて、
そのはるか昔の石器時代の頃には既に生活の痕跡があったわけかぁ。
雑感ですが、
これだけ貴重なものは歴史的、地学的に意義のある史跡として誇れるものですし、
今後、町による事務事業もしくはジオパーク推進委員会による事業展開次第で、
もっと見応えのあるものになるのではないかなと感じました。
たとえば、出土した縄文土器の写真とか、さらに細かく説明してある看板を立てるとか…
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竜の口遺跡 はコチラ!☆
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さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― 松浦亜弥『ドッキドキ!LOVEメール』
ドッキドキ(土器)