古層、それをもって史を語る(乳ヶ崎)
令和2年8月6日。
1945年8月6日 8:15――
空から投下された爆弾。その炸裂により、広島は一瞬にして焦土へと姿を変えることとなりました。
毎年行われる戦没者追悼式や慰霊の報道などを目にするものの、
当時を生きていない筆者には彼らの気持ちが100%伝わることもなく、
痛みを分け合えない辛さ、分かってあげられない苦しさを募らせるばかりです…
ただ、「平和な世の中になってほしい。」という願いは、いつの時代も変わらないと思います。
さて、本題は歴史を伝える景観の話題。
第二次世界大戦よりも遥かに古い、昔の話です。
TOPIC No.83
「乳ヶ崎」
乳ヶ崎は、前回の記事で紹介した野田浜の先の海食崖(岬)です。
大島の北端にあり、海抜96m、昔から航海の目印になっていた岬です。
碁石浜側から登ると、源為朝が軍船を強弓で射沈めた古戦場と言い伝えられているところがあります。(これ、当時知らなかったので碁石浜と古戦場跡は、後日行ってみます!)
ここには、元々「岡田火山」と呼ばれる古火山があり、主に玄武岩溶岩流・火砕岩と岩脈から構成されていたそうです。この岡田火山の活動時期は、鮮新世から更新世と考えられているようで、何年前かと数字で表すと、だいたい250万年前くらい。
昔過ぎて分かりやすい比較情報が少ないですが、強いて言うならば…
”我々の祖先であるホモ属が登場し始めた時代らへん”と言えば良いでしょうか?(ほら、ホモ・エレクトゥスとかホモ・サピエンスって聞いたことあるでしょ!)
なお、今は後から誕生した「伊豆大島火山」に隠れています(一体化したと言った方が適確なのかな?)。
実際に崖の近くまで寄って、写真を撮ってみました。
いやぁ圧倒されますね。
あれだ。まるでSASUKEの「そり立つ壁」だ!(例えが下手すぎる)
このような具合に、海岸沿いに露出した崖には、当時の堆積層が残り、見事な景観を生み出しています。見たところ立ち入り禁止区域は無く、実際に近くまで寄って見ることができるので、地層などを勉強したい方には持ってこいのロケーションかもしれませんね。
ただ、一点注意。岩の上に乗って滑って転ばないように注意してくださいね!
(※筆者はこのとき、岩から岩へ飛び移ったときに滑って落ちて背中と腰を強打してます。周りに誰もいなくて死ぬかと思いました。本当気を付けて!まじで!!!!!)
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乳ヶ崎はコチラ!☆
(野田浜の北側にある飛び出たところです。住所は岡田字新開。)
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さて、明日も頑張っていきます。🐟