信号、数多の船舶を救う(大島最古の船舶信号機―波浮港探訪②―)
令和2年8月10日。
山の日です。🏔
大島にも三原山と呼ばれる大きな山がちょうど島の真ん中にあります。
山の日なので、登ってきました!…と言いたいところですが、
山登りには暑すぎると億劫になり、家にこもっていました。(出不精)
引き続き、「波浮港」を紹介していきます!2記事目!
TOPIC No.86
「大島最古の船舶信号機ー波浮港探訪②ー」
港の入口へ続く道を発見し、その先へ歩いていきました。
その先では…
こんな面白い形のものを見つけました。
大島最古の船舶信号機…?
信号機と書いてあります。信号は光るから…うーん灯台ってこと?
いや灯台ではないらしい。じゃあ一体何でしょうか。
大島最古の船舶信号機
波浮の港口は水深が浅く、更に狭い為に台風の時期になると波が高くなり、入港する船にとっては危険極まりない箇所であった。荒天下での入港を避け沖で待機している船に対しては漁師の長老が経験を活かし波の澱を見ては信号を送っていたが、現代の船舶に比べ速度が大変遅かった為、港を目前にして座礁することが多かった。
この信号機の上部に設置されている大砲は元来捕鯨用のものであるが、座礁した船に向けてロープを打ち込み乗組員の救出用に代用し、無事にロープを伝い上陸させる目的を果たしていたものである。
文面から想像するに、漁師の長老が波の様子を見て、
「今だ、これなら入ってくることができる!」というタイミングで信号を送っていた。ただ、船舶の速度が遅かったために長老の予想するタイミングを過ぎてしまい、座礁してしまうことが多々あった…ということでしょうか。
そこで座礁した船舶の乗組員を助けるために信号機上部の大砲からロープを飛ばして船舶に打ち込み、乗組員はそのロープを伝って難を逃れたと。
まさにこの信号機は、現代の信号機に近い使い方をされていたわけですね。
大砲からロープを打ち出すなら、こんな角度でしょうか。
信号機の果たした当時の大役ぶりが偲ばれます。
話は変わりますが、これは信号機から真逆を向いた場所に設置されている石地図です。
よく見ると現在地には青いマークがついています。(画面下部あたり拡大すると分かります)
「踊り子の里」ってどういうこと…?ここはごく普通の港のはずだけども…
新たな疑問が浮かんできました。その真相を探ります!
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「大島最古の船舶信号機」はコチラ!☆
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、明日も頑張っていきます。🐟