史蹟、名の数だけ歴史あり(大島の南に顔を出す筆島-オタイの浦編①-)
令和2年5月9日。
緊急事態宣言による自粛期間が延長されてから初の週末。
引き続き在宅で籠って休んでいます。
そろそろ一旦実家に戻って家族に顔を見せたいですが、ウイルスをうつしたり、持ち込んでしまいかねないのでまだまだ我慢です。明日は母の日。両親は元気にしているでしょうか…
筆島シリーズの記事、3日目。
今回は海沿いへ降りる道を進んだ筆者を何が待ち受けているでしょうか。
TOPIC No.25-3
「大島の南に顔を出す筆島-オタイの浦編①-」
無事海沿いまで下ってくることができました。東屋があったり、これとは反対側には男女トイレがあったりとこのあたりの利用客に対しての整備はされているようです。
それよりも気になったのは奥の丘にある十字架!
あれは間違いなくキリスト教関係の何かでしょう。間違いない。
でもなぜ大島とキリスト教?まだまだ知識が浅い故、皆目見当がつきません。
これはあの十字架の下に行くしかない。理由を知りたい。
そう思うと、先人の思いに引き寄せられるかのように足が動きます。
十字架の下へ到着。こんな石碑がありました。
オタイの浦。ここ一帯の別名?
石碑の説明には…
「オタイの浦」とは、垣原のはなと黒崎のはなとに囲まれた海岸、砂浜の場所を称し、「ジュリアおたあ」よりその名が付けられた。海上に筆を立てたように突き出た岩を「オネサマ」と言い、向かいの山の裾を「オネの丘」と呼ぶ。
「オネサマ」は近年、「筆島」と呼ばれている。
(史蹟名勝 オタイの浦 石碑より引用)
へぇーそういうことか!
まず垣原と黒崎についてなのですが、これはこの筆島のエリアを挟み込むように位置する古くからの地名です。そのとおり、「垣原のはなと黒崎のはなとに囲まれた」って書いてあります。
「オタイの浦」=「筆島のあるこの浦(海岸)」
それで、「オネサマ」=「筆島」であると。
また、「オネの丘」=「筆島の向かいの山の裾」であると。
うーん、「オネ」の意味が分からない。調べてもどこにも載っていないんですよね。
これくらい謎が残っていた方が面白いですかね?かえってミステリアスで。
別の名前を持ちながら、それぞれの名を呼ぶ先人たちには、またそれぞれの素晴らしき日々があったのでしょうね。そんな哲学的な気分にもなります。
どうやらこれらの別名は「ジュリアおたあ」という方が名付けたようです。
この方はどんな人なんだろう…何をしている方なの?
続きは次回。
さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― さとのあかり「嗚呼、素晴らしき日々よ」