この島の平和を本気で願ってるんだよ!-伊豆大島日記-

食べ物と生き物と自然とハロプロが好きな社会人による伊豆大島暮らしの日常

平六、波浮港開港の立役者(秋廣平六翁之像)

令和3年1月5日。

 

カラッと冬晴れした波浮港見晴台。

その見晴台には、こんな銅像が設置されていました。

 

 

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波浮港を見下ろすような仕草

 これは誰なんだろう。波浮港に縁のある人物?

 

 

TOPIC No.138

「秋廣平六翁之像

近くにあった「波浮の港」と書かれた説明看板には次のように説明が乗っていました。

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波浮港が出来た経緯が記されていました

波浮の港

 波浮の港はもともとは火口湖だった。「波浮の池」と呼ばれていたが承和5年(838)の水蒸気爆発とと元禄16年(1703)の大地震、大津波で東南の岸壁が崩れ海に通じた。

 寛政2年(1790)田村玄長の薬草調査に案内者として来島した上総の人秋広平六は、幕府に願い出て工事の一式引受人として港口の開削に当った。5か月の月日をかけて寛政12年(1800)工事を完成した。こののちは波浮の港と呼ばれ、港の南近くに近海有数の漁場、大室出しを控えて沿岸漁業の中心地として、またあらしの避難港としても各地の船が集まり隆盛をきわめた。(以下略)

波浮港がそもそも「港」として栄えることができたのは、この開削工事を引き受けてくれた秋廣平六という人物のおかげのようです。 

 

改めて先ほどの銅像を見てみると…

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銅像の土台には、「秋廣平六翁之像」と刻まれている

あぁ~書いてあった!波浮港開港の功労者、秋廣平六の銅像でした!

 

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彼の略伝を見る

秋廣平六略伝

 1757年上総国に生れた。農に展示平六薯を残して江戸に出る。1791年幕医田村玄長の伊豆諸島薬草採植行を案内の途次、干潮時は港口を徒渉もする当港に着眼し、港口を堀割り松前船の風待港にしようとの発想を得た。依頼渡海を重ね、八丈島御蔵島の平六山で製炭、黄楊加工等を奨める一方、江戸の島会所設立に参画し、のち出府して無人島探険、波浮港開墾の要を建言した。やがて堀割願は容れられ、1800年3月着工、幾多の苦難を経て翌年開墾に成功し、波浮港発展の基を創った。実に江戸期港湾工事の最たるものである。 1817年4月12日没。

こちらにも同様の記述がありました。この人物あってこその波浮港ですね。

凄いです。島民ではなく、外から来た(上総国=現:千葉県君津市出身)人物!

現代のまちづくりと比較するのは少々違うかもしれませんが、「よそもの・わかもの・ばかもの」なんてことが謳われることが多いです。その「よそもの」ならではの感性で、当時の波浮地域の人々には考え付かない「波浮港開港」という発想が生まれたのかもしれません。

 

 

外の人間だからこそ気づくこと、変えていけること、こうした発想は私自身も身に着けていきたいですし、常に心掛けていきたいと感じました。

 

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秋廣平六翁之像(波浮港見晴台すぐ近く)はコチラ!

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さて、明日も頑張っていきます!🐟

 

 

本日のハロプロソング ― こぶしファクトリー『懸命ブルース』

勇気出してみろ 全開で ヤルときゃやらねでどうすんだ!