分派、御神体を同じにせん(三原神社(泉津)~前編~)
令和2年6月17日。
今日は「お巡りさんの日」。
どうやら1874(明治7)年6月17日に、巡査制度が始まったそうです。
離島においても、警察官さんは配属されているんです。
小中学校の登下校の見守り、港での船到着の手伝い等、朝早くからお仕事されています。日々の活躍に感謝ですね。
さて、今回は神社をひとつ紹介。
TOPIC No.55-1
「三原神社(泉津)~前編~」
伊豆大島にある有名な神社と言えば、三原山山頂にある「三原神社」です。
ですが、今回泉津地区でも見つけたのは同じ名前の神社。これはどういうことなのでしょうか…?
お決まりの説明看板の引用。歴史等を紐解くには一番手っ取り早いのです。
以下に書き起こしてみますと、こんなことが記されていました。
三原神社
入口の石垣右には椿の花、左にはひょうたんの形がくみこまれている。『伊豆諸島東京移管百年史・上巻』によると「三原神社 三原山上の三原明神は本島の総鎮守として毎年六月一日に全島の老若男女が参拝していたのである。祭神は穂都佐和気命だとのことである。穂都は、火抗(ホド)にて佐和気は尊称ならんと言い、噴火を御神火だと信じ、天変地異は神の所為なりと思った当時の考え方を説明している。我が泉津の三原神社はこの三原明神の分派であって、毎年九月十五日例祭を行なっている」とある。
この三原神社も、三原山を御神体としてあがめ、それぞれの地域の登山口に遥拝所を作って神社としたものの中の一つであろう。
(以下略)
平成六年三月
なるほど、分派ってことなんですね~
ほら、よく国分寺とか、八幡神社とか、同じ名前をした寺や神社ってありますよね。
それと同様に考えていただければよいのでしょうかね。
この三原神社の位置づけは読んで理解しました。
ただ、冒頭にある"入口の石垣右には椿の花、左にはひょうたんの形が”
の記載が気になります。ちょっと入口辺りの石垣を見てみます。
すると…
ああ!!たしかにありました!!椿とひょうたん!
まるで赤と白の縞々の服を着た某人探し絵本のように、目を凝らして石垣を見回った甲斐がありました。見つかるとすっきりしますね☺
入口の石垣を過ぎ、奥へ向かいます。
雨降りの日に訪れましたが、神社で騒がしくするのもと思い、傘が欲しいほどの雨に打たれながらもゆっくり歩くことにしました。雨を音を足音でかき消すことなく聞き入るのも悪くないです。
直線の参道を行くと、程無くして鳥居が見えてきました。この先はどうなっているでしょうか?
次回の記事へ続きます!
さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― Juice=Juice「愛・愛・傘」