古節、魂歌い継ぎ(大島節発祥の地 石碑)
令和2年6月1日。
月初というものはいつの時期でも慌ただしいですね。
会議などもあって、予定通り進まない仕事もありました。
次の日から巻き返さなくては!
TOPIC No.42
「大島節発祥の地 石碑」
この石碑は野増地区から元町地区に向かう大宮橋の近くにあります。
5月30日の記事で紹介した「松原公園」https://kurashiisland.hatenablog.com/entry/2020/05/31/211529
の手前です。
石碑の位置関係はさておき、「大島節」とは何なのか?どんな歌なのか?というところが気になります。
以下引用ーーーー
大島節は、明治初期、伊豆大島の野増(のまし)村(現大島町)で、人々が茶もみの労作唄(うた)として歌い出した『野増節』が原型といわれる。この『野増節』に、横浜市あたりで歌われていた、お茶の火入れ再製作業の労作唄『お茶場節』が取り入れられ、現在の大島節のメロディの基となったといわれる。
1930年(昭和5年)-1931年(昭和6年)頃まで、大島節は手拍子だけで歌う形であった。経年を経て、観光客向けや料亭座敷向けに三味線の手や、あんこ娘の踊りが入るお座敷唄バージョンも完成されたが、大島地元の人達は、常に手拍子だけで歌っている。
大島節は、本来冠婚葬祭の席で、島人達が車座になり、その催事に適した即興詩を詠い回してゆく伝承民謡である。従い歌詞は不定形で無限。後出の大島町岡田在住、坂上豊吉(理髪店経営者で伊豆大島の伝承芸能・文化保存者)による地元古老への聞き書き「大島節歌詞集」を始め、記録され定形詞となってきた歌詞だけで100以上あるとされる。
Wikipedia「大島節」から引用
発祥の地の石碑があるとおり、野増村で歌いだした歌が原型なんですね~。
ただ、そこにメロディとして加わったのは海の向こうの横浜あたりの節。
つまり当時も主要産業等の交流を通して、文化が海を渡り融合したわけですね。
もう一つこの大島節のすごいところは即興詩を詠うという点です。
昔の六歌仙と比べるのもややズレがあるかもしれませんが、即興で詠んでお互いに楽しむという面では通ずるところがあるでしょうか。
上手い歌詞を思いついて場を沸かせたり、歌詞に詰まって笑いが起きたり、
そんな風景を想像して笑顔になります。
この石碑に書かれた歌詞は歌い出しの歌詞(太字部分)です。
ア ハーイハイトー アアーア アーアア アア
私しゃ大島ァ 御神火(ごじんか)育ちヨ(ナ)
ア ハーイハイトー
胸に煙はナ(ヨ) 絶えやせぬヨ(ナ)
ア ハーイハイトー
大島に暮らす人々の心と共に燃ゆる御神火。
この大島節は残念ながら衰退の一途を辿っていますが、この歌で歌われているような
熱い魂は今の島民にも受け継がれていることでしょう。
先人たちの歌を聞き、当時の風景に想いを馳せるのでした。
さて、明日も頑張っていきます。🐟
本日のハロプロソング ― あか組4「赤い日記帳」